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5月のつぶやき 1
 ゴールデンウィークの中盤、私達の活動にとって色々な意味で衝撃的なことが起きました。

 十条台地域クラブでは、原則として第2・4土曜日に、学校の校庭開放を利用して「コミュニティスポーツ」と銘打ち、地域の子ども達へ遊び場を提供しています。現行の校庭開放制度の中で、学校の校庭開放委員会より報酬(区より学校の申請を基に支給されている)を貰っている開放指導員がいるのに、なぜ私達がボランティアでこのような活動をしているのかというと、先ず第一に、現状の開放指導員は子ども達の安全・学校施設用具の保全等を監視する事が仕事の中心で、子ども達との“遊び”を積極的に行うという為の指導員ではないということが一つあります。
 次に挙げられるのは、子ども達が休みの日に学校へ遊びに行く目的が少ないということがあり、特に、小学校の低学年・中学年にとっては、学校へ行ったは良いけど何をして遊んでいいのか判らないのだということが考えられます。今の学校校庭開放には、子ども達の目線で目的が見つからないということなのでしょう。このようなこと等を踏まえて、この活動が少しでも子ども達の目的になってくれれば、そして、子ども達が元気良く安全に外遊びが出来るようにとの思いで私達は活動しています。

 そんな中、1日(土曜日)の昼過ぎ、思いがけず自宅のチャイムが鳴り玄関先へ出てみると、8人の顔見知りの子ども達が並んでピロティに立っていました。その殆どが王二小3年が中心の子ども達でした。「どうしたんだい?」と聞いてみると、「おじさん、今日はテニスを何時からやるの?」という訴えかけるような質問でした。一瞬ドキッとしましたが、できるだけ冷静に「今日はやらないよ。」とあっさりと返答しました。すると「何でいつもやっているのに、今日はやらないの?」と、再び問い掛けてきます。現実には、校長先生から許可をいただいて、校庭開放の環境を使わせていただいているので許可されてない日は使えないことなど、難しい話で言い訳しても子ども達には理解ができないと思い、「ゴールデンウィーク中だから、おじさん達も休ませてよ。」と言うと、「今、学校空いているからやって下さい。」と、違う子どもが言葉を発しました。それを機に、何人かが「やって!、やって!」と合唱になってしまいました。もう単純に「ゴメンな、8日の日には行くから勘弁してくれよ。」としか言いようがありませんでした。「校庭開放やっているんだから、学校行って遊べよ。」と言うと、「つまんないよ。」の一言が返ってきました。私の答えに対して、子ども達の寂しそうな眼差し・表情には、何とも言えない辛い気持ちを覚えました。もう一度「ゴメンな、来週学校で会おうぜ。」と言って家の中に入りましたが、暫くの間、子ども達は家の前を動こうとしませんでした。おそらく、この後どうしようかと8人で相談したり、諦め切れずに思いを巡らせていたのだと感じました。

 
 この出来事には、複雑な思いが錯綜しました。いつもは、只の地域の叔父ちゃんとして子ども達と接しているつもりでも、子ども達にはその叔父ちゃんが「何処に住んでいる誰だ」かが判っていて、大人を判別しているんだという現実なのでしょう。現に、自宅など判らないだろうと高を括っていた私自身が、子どもにいきなり訪問されてドギマギしてしまったということです。子ども達は、何処の誰が遊び相手になっているかをわきまえて、大人に接しているんだという、私たちにとっては責任重大な現実を突きつけられた思いでした。それと共に、やはり子ども達は、今の校庭開放の環境に満足はしていないのだ、という確信を持てた出来事でした。勿論、子ども達に自律した遊びを求める事は酷なのかもしれませんが、子ども達が遊びを求める環境が余りにも狭められているということも挙げられると思います。
 外遊びが極端に減っている今の子ども達、その大きな原因が遊べる環境の希薄さにあることと、子ども達が目的を選べる選択肢が余りにも少ないということなのでしょう。公立学校教育現場で週休2日制の実施により、子ども達が体を持て余している休日を過ごす為、親に決められた塾や習い事へ通う環境はあっても、友達同士で寄り合って、自由に自らが皆と考えて行動できる環境が乏しいという現実なのでしょう。加えて、大人との接点も少なくなってきているのでしょう。学校校庭開放という場所や、街の公園といった場所だけを単に与えられただけでは、今の子ども達には、遊びを創造する力が欠けてしまっているのだと感じています。子ども達の体力の低下や、遊ぶことへの貪欲な探究心が失われていくなど、次代を担う彼等にとって深刻な問題なのだと考えます。少なくとも、私達が伝えようとしている活動が、彼等にとって一時的ではあれ目的となったことが、今回のような行動に現れたのでしょう。
 校庭開放に遊びに来る子ども達の中には、携帯用のテレビゲーム機やキャラクターカードゲーム等を持参したり、携帯電話のカメラ機能やゲーム機能を利用して、校庭の片隅で2・3人が寄り添って、家の中でも出来るような遊びをしている場面を幾度となく目にしています。親や教師がこのようなことを良しとしているのでしょうか?私達は良しとしているのではなく、目が行き届かなくて判っていないのではと感じています。本当にこれで良いのかという大きな疑問を覚えてしまいます。親へこの現実を伝えれば、「余計な事は言わないで下さい。」「大きなお世話です。」等と、返事が返ってくるのでしょうね。何かがおかしくなっていると感じています。

 そんな子どもを取りまく環境を、少しでも良い環境にシフトするようサポート出来れば、そして、大きな事が達成出来なくても、何か問題の投げ掛けになれれば良いと考えています。
 
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